ここ約3年半は、突発的に起こった世界の紛争災害の現場を訪れては、撮影活動を行っています。 それは、1999年7月に、紛争終結直後のコソボを訪れたことがきっかけでした。
火が放たれ屋根のない家屋、山中の虐殺現場、首のもがれた子供向け人形・・・。
民族紛争の根深い憎悪を感じる現場に立つ度毎に、私自身も大きなショックも受けたわけですが、当事者の人々は、必ずしもメソメソと泣き続けるばかりではありませんでした。
落ち着きを取り戻した人々は、周辺国の避難先から続々と帰還する隣人を歓迎し、勝利を勝ち取ったとの喜びを隠すことなく語り合い、夜には大音響のアルバニア音楽を楽しむ若者さえも目につきました。また、報道関係者を相手にタクシードライバーとして、早速生計を立てる人々の姿もありました。 ここが本当に多くの人々が犠牲になった戦場だったのか、と思う程、目前の現場はより多様と思えました。
さらに、一般家庭への訪問を繰り返すうちに、同性という立場からか、自然と女性に目が向くようになりました。夫や子供や両親 家族を守るための献身さ、明るさを保とうというバランス感覚から見せる笑顔、周囲の人間を癒す包容力、男勝りな強さ・・・。滅茶苦茶に破壊された自宅しか財産のない家族も、例えば彼女らが作る、僅かでも温かな手作り料理によって、どんなにか癒されていることでしょう。
極限の地では、普通の女性がまさに生命を支える大いなる力になっています。懸命に生き抜く人々の表情は、眼は鋭く輝き、むしろ生き生きと、そしてより人間らしくも見えます。 気がつくと、そんな女性の「強さ」に強烈に惹きつけられていました。彼女らと同じ時間を共有し、その生きざまを見ていると、むしろ私の方が逆に勇気づけられていて、強くなれそうな気がしてきました。
コソボ以降も、紛争地ではエリトリア、マケドニアへ、震災地では、トルコ、台湾、インドへ足を伸ばしましたが、政治や利害関係は様々でありながらも、最低限度の生活を営もうとする人間の共通性をやはり感じました。
被災者という困難な立場を乗り越え、立ち直ろうとする女性の姿から、人間の「生きる力」に焦点を当てています。 |
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